幸福の種に水やりするには

How to Water the Seeds of Happiness


欧米の仏教雑誌Lion's Roarに、2022年9月に再掲載されたティク・ナット・ハンの法話の日本語訳です。How to Water the Seeds of Happiness, Thich Nhat Hanh, Lion's Roar, 26, September 2024

 

 ~記事紹介より:

ティク・ナット・ハンの教えは常に奥深くありながら実践的であり、仏教のもっとも深い洞察を、私たち自身の人生に活用する効果的な方法で教えてくれます。ここではティク・ナット・ハンが、仏教心理学と現代心理学を駆使して、幸福をはぐくむ習慣について教えています。

 

 

私たちの誰もが幸福になる力を持っています。私たち自身の中には、慈悲や理解、そして愛の種があります。誰もが幸福や喜びといった善良な種をたくさん持っています。

 

しかし、私たちの中にはまた逃走する癖もあるのです。この不満や葛藤といった静止不能なエネルギーが、私たちを現在の瞬間から、そして自分自身から引き離してしまいます。

 

ある意味では、私たちは何かに向かって逃げ続けているといえます。私たちは今この瞬間に幸福になることは無理だと考えて、未来へと逃避しよう、走り出そうとするのです。

 

もし権力があったら、もし有名になったら、もし裕福になったら、もし他の誰かから賞賛されたら、その時やっと幸せになれるのだと考えます。

 

そしてこれらに向かってより速く、懸命にひた走れば、きっと幸福へとたどり着けるだろうと期待するのです。

 

でも、幸せになる習慣をあなたが身に着けると、例えば自分のためにお茶を淹れるような、ありとあらゆる行動で幸せと喜びを生み出せるようになります。

 

私たちが、何か一つのものに向かってひた走る時、それはまた別の何かから逃避しているとも言えます。誰もが、内なる苦しみや絶望、怒り、そして孤独を抱えています。

 

もし私たちに、これらの強烈な感情といかに向き合うべきかが分からなければ、こうした感情をできるだけ早く遠ざけたいと思うのです。

 

常に私たちが逃避し、走り続けているために、私たちは自分自身と向き合えてはいないのです。

 

私たちはたった今の自分自身と共にありたくて、どこか別の場所にたどり着こうとすることに忙しいのです。

 

もし私たちが自分自身を大事にできなければ、愛する人たちと向き合うこともできません。

 

つまり、私たちは自分自身から逃げているだけではなく、また自分の家族や友人たちからも逃避しているのです。

 

この逃走は私たちにとってたいへんな負担です。それは私たちを心底疲れさせるだけではなく、肉体と心にも緊張を生み出してしまうのです。

 

私たちはそれが癖になっているために走り、逃避しますが、私たちが正しく注意を払い、深く観ることで、この痛々しい逃走癖を、幸福の習慣へと変えることができるのです。

 

 

 

 

私たちの*癖のエネルギーの根本

 

私たちを追い立てるエネルギーとは、一体どこからやって来るのでしょうか。

 

私たちが悪癖のエネルギーを変えるためには、立ち止まって、その根本を深く見つめることが必要です。

 

私たち一人一人が、自分の先祖から癖のエネルギーを受け継いでいます。私たちの意識には、前世代の人々と、そして周囲の人々のエネルギーを受け取って吸収する強靭な能力があるのです。

 

私たちは意識の中にこれらのエネルギーを、*51の異なる心的形成の種子の形で保存しています。これらはサンスクリット語ではビジャと呼ばれます。

 

愛や幸福、慈悲、怖れや憎悪、不安などのこれらの種は、誰しもが持っているものなのです。

 

 

 

仏教心理学では意識を2つの部分に分けます。片方が(思考する)意識であり、もう一方が蔵識です。この(思考する)意識は、西洋医学で『顕在意識』と呼ばれる、能動的な認識です。その根底には、51の心的形成の種子を含む蔵識があります。

 

このうちの最初の5つは他のすべての心的形成に存在するため、*遍在的心的形成と呼ばれます。

 

第一の遍在的心的形成である『*接触』は、感覚器官と対象が一緒になる時に起こるものです。

 

第二の遍在的心的形成の『*注意』は、あなたを特定の対象物に惹きつける働きを持っています。あなたが何らかの音を聞いたら、その音にあなたの注意は引き寄せられます。

 

注意には「*適切な注意」と「*不適切な注意」とがあり、マインドフルであれば、自分の注意を健全で有益なものへと向けることができるのです。

 

 

第三の遍在的心的形成は『*感情』です。感情には快、不快、あるいは中立のものがあります。マインドフルネスがあれば、自分の不快な感情を、感謝のような快い感情に変えることができるのです。

 

もし快い感情が自分の中に起きていれば、思考をすべて止めて、ただその感情に気づくことができます。もしあなたがあれやこれやの心配事を手放せたら、ただ裸足で砂浜を歩いて、足の指の間に砂を感じるだけで、とても幸せになれるのです。

 

 

 

第四の遍在的心的形成は、『*知覚』です。何かを見たり、味わったり、聞いたり、あるいは感じる時、その名称を示唆するサインが思考に現れます。

 

私たちが花びらと茎のあるものを見たら、私たちの思考は、それを『花』と名付けます。しかし、もし私たちが知覚にマインドフルネスを介入させなければ、たとえそれが間違っていても気づかない可能性があるのです。

 

すると、縄とヘビを見間違えてしまうことがあるかもしれません。本当は誰かが聴覚障害を持っているにもかかわらず、その人が自分を無視していると思いこんだり、実際には私たちにとって喜ばしい何かを見て、それが苦痛を引き起こすと思い込むかもしれません。

 

誤った認識とは、常に起こりうる可能性があり、私たちに恐怖や怒り、苛立ちをもたらしかねないのです。

 

第五の遍在的心的形成は、『*意思』です。それは『意志』とも言えます。あなたが対象と接触する時、それに対する感情と認識を持ちます。

 

するとその対象との関係性が生まれ、あなたがそれを所有するのか、あるいは押しのけるかを決めるのです。この第五の心的形成は、あなたがその対象を受け容れるか、あるいは拒絶するかどうかの決定です。

 

 

 

悪癖のエネルギーを変える

私たちの癖のエネルギーは、こうした心的形成から来ているのです。これらの種子が、苦しみか幸福のどちらかにつながる神経経路を形成します。

 

自分の意識の中に現れたどんな種子も、以前より強まって蔵識へと戻ります。たとえば、あなたが自分に怒りを引き起こす何かと接触を持とうとする時、頻繁にその神経回路を通ることで怒りが癖になります。

 

でもマインドフルネスを介入させることによって、ネガティブな神経回路を消し去って、理解と幸福へとつながる新しい神経回路を開くことができるのです。

 

抑うつや怖れ、嫉妬、絶望、葛藤はどれもネガティブな心的形成であり、あなたの逃走する癖に加担しています。

 

しかし、それらを怖がってはいけません。もしそうした心的形成が現れたがっていれば、現れるに任せて、それらを認識し、そして受容するのです。

 

悪癖のエネルギーとは、知性や願望だけで変容できるものではありません。それはなんらかの洞察を必要としています。そして洞察とは深く観ることから生まれるのです。

 

悪癖のエネルギーを変容する唯一の方法は、それを認識してマインドフルネスと共に受容し、そしてポジティブな習慣エネルギーをつくり出せるよう、ポジティブな種子を招く実践をすることなのです。

 

マインドフルネスは私たち自身に、逃走する癖のエネルギーに気づかせてくれます。私たちがその悪癖の存在に気づく時、その癖に向かってほほ笑みかけ、そこから自由になることができるのです。

 

 

癖のエネルギーには、変えるのが非常に難しいものもあります。紙をいったんくしゃくしゃにすると、もう一度平らにすることは困難です。その紙にはしわくちゃになった癖のエネルギーがあるのです。

 

私たちも同じです。しかし、幸福もまた癖のエネルギーとなりえるのです。マインドフルネスの実践は、私たちに新しく、良く機能する習慣エネルギーをつくり出させてくれるのです。

 

たとえばある特定の言い回しを聞いた時、あなたが険しい表情になってしまうとします。それはあなたがそんな顔つきをしたいからではなく、自動的に起こるのです。

 

この古い習慣エネルギーを新しいものと置き換えるためには、そのフレーズを聞くたびに、気づきとともに呼吸することができます。

 

最初はまだ自然にはできず、意識的に呼吸することは努力を伴うかもしれません。でも続けていけば、意識的な呼吸が、新しいポジティブな習慣エネルギーになっていくのです。

 

 

無思考と新しい神経回路

何も考えない習慣を実践することが、新しい習慣をつくり出す秘訣です。思考が定着する時、接触しているものとの直接的な体験が失われ、心的形成へと移行します。

 

今この瞬間にいられる機会や、自分の体内と周囲で起きていることへ触れる機会が少なくなってしまうのです。

 

だから、ただ接触と感覚に気づきを向けるのです。そうすれば自分の体内や環境に存在する、肉体と精神の双方を養い、癒す要素に触れることができるのです。

 

マインドフルネスが介入することによって、ネガティブな神経回路を消し去り、理解と幸福へとつながる新しい別の神経回路を開くことができるのです。

 

たとえば、あなたが心配や不安に駆られたり、イライラするたびに、その気持ちをごまかすために、大きなケーキに手を伸ばそうとするとします。

 

 

 

認知する過程にマインドフルネスと集中が介入する時、苦しみにつながることのない、新しい脳の神経回路がつくられるのです。

 

それは苦しみにつながる代わりに、理解すること、思いやること、そして幸福と癒しにつながっているのです。

 

私たちの脳には神経可塑性の能力があるのです。脳は変化できるのです。

 

たとえば誰かがあなたを怒らせるようなことを言ったとします。あなたの古い回路は何かその人を懲らしめるようなことを言いたがるかもしれません。

 

しかし、それはあなたを自分の悪癖のエネルギーの犠牲にしてしまいます。その代わりに、思いとどまって、自分の中の怒りといら立ちを受け容れ、それに向かってほほ笑むことができるのです。

 

マインドフルネスがあれば、相手を見つめて、その人の中に苦しみがあると認識することができます。その人は留飲を下げたくて、そんな言い方をしたのかもしれません。

 

そんな風に話せば、きっと自分の辛さが和らぐと思ったのかもしれません。でも実際のところ、その人はもっと辛くなってしまうのです。

 

 

 

相手をたった一、二秒見つめて、その人の苦しみを認めるだけで、慈悲が生まれます。

 

慈悲が生まれれば、あなたはもうそれ以上苦しむことはありません。そして、相手を助けるために、何か言うべきことが見つかるかもしれません。

 

実践があれば、いつでもこうした新しい神経回路を開くことができるのです。それが習慣になったとき、それは幸福の習慣と呼べるでしょう。

 

あなたが幸せになる習慣を身に着けたら、たとえば自分自身にお茶を淹れるといった、自分の行動すべてで喜びと幸せを生み出すようになるのです。

 

私たちは適切な注意力を持ち、思考をとどめ、今ここに感じられるものを満喫するためにマインドフルネスを実践するのです。想像だにできないほど数多くの幸福の条件がここにあることに、私たちは気づくのです。これは実現できることです。

 

これを私たちが実践している間に、治癒が起こるのです。私たちがこれを達成しようと奮闘する必要はありません。私たちには幸福の習慣があるからです。

 

 


  《注釈》

  *癖のエネルギー……習気

  *51の異なる心的形成……五十一心所

  *5つの遍在的心的形成……五遍行

  *接触……触

  *注意……作意

  *適切な注意……如理作意

  *不適切な注意……非(如)理作意

  *感情……受

  *知覚……想

  *意思・意志……

 

日本語訳:西田佳奈子(慈山)