一瞬の沈黙の後、王はブッダを見上げて言った。
「これらの問題について、ここまで明らかにして頂き、感謝する。だが、まだ心懸かりが一つあるのだ。
慈悲に根差した愛が平和と幸せをのみをもたらす一方で、欲求と執着に根差した愛は苦しみと絶望をつくりだすとあなたは言う。
だが、慈悲の道に根差した愛とは利己的でも、身勝手でもないと理解できる一方で、まだ辛さと苦しみをもたらしかねないのだ。
私は自分の民を愛している。台風や洪水のような自然災害で彼らが苦しめば、私もまた苦しむ。それはあなたにとっても同じだろう。病気や死に直面した者を見れば、あなたも苦しむだろう。」
「とても良い質問です。これを問うことで、あなたは慈悲の性質をより深く理解できるでしょう。
まず、欲求と執着に根差した愛によってもたらされる苦しみは、慈悲によってもたらされる苦しみの何千倍もの苦しみなのです。
二種の苦しみを区別する必要があります。
一つは全く役に立たず、心身を不快にするものです。
もう一方は優しさと責任感を育む苦しみです。
慈悲に根差した愛は、他者の苦しみに対処しようとする力を与えるのです。
執着と欲求に根差す愛は、不安とさらなる苦しみだけを生み出します。
慈悲とは、もっとも助けとなる行動と献身にまい進する力を生み出すのです。
偉大なる王よ!慈悲とは、何よりも求められるのです。
慈悲から生まれる辛さとは、役立つ救いの辛さなのです。
もし他の人の辛さを感じとることができなければ、あなたは真の人間とは言えません。
慈悲とは、理解が結実したものなのです。
気づきの道の実践とは、人生の本質を悟ることです。
人生の本質とは無常です。
すべてが無常であり、何ひとつとして分断したそれ自体はないのです。
すべてはいつの日か消え去ります。 あなた自身の肉体もいつの日か消え去ります。
人があらゆるものの無常の性質を見抜くとき、そのものの見方は平静で穏やかになります。
無常の存在は、心と思考を不快にはしないのです。
このために慈悲がもたらす辛さの感情には、他の苦しみがもたらすような沈痛さがありません。
その反対に慈悲は、大いなる強さを与えるのです。
偉大なる王よ!あなたは解脱の道の基本的な教義をお聞きになりました。
またの日に、あなたとさらなる教えを分かち合いましょう。
パーセナディ王の胸は感謝に満たされた。
王は立ち上がると、ブッダに手を合わせた。
そう遠くない未来、自分を在家の弟子として受け入れるようブッダに頼むであろうことを王は知っていた。
マッリカー王妃、ジェータ王子、バジーリー王女がすでにブッダとの間に特別な絆を覚えたであろうことを、王は感じ取っていた。
──ティク・ナット・ハン
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(翻訳・西田佳奈子)