2020.10.11

おめでとうございます!

タイ94歳の『継続の日』に

 

2020年10月11日、ティク・ナット・ハン師は、94歳のお誕生日を迎えられました。タイのユニークな不生不滅の教えの通り『継続の日』と呼ばれるこの日に毎年様々なインビテーションを用意している、ティク・ナット・ハン財団の呼びかけで、今年は世界中で歩く瞑想を実践するムーブメントが、タイへの贈り物となりました。

 

以下にタイご自身がまだ若い頃、歩く瞑想を教えている動画から、タイのお話の日本語訳を掲載しています。この機会にぜひ皆様が歩く瞑想のもたらす平和や楽しさに触れられますように。

 

「歩く瞑想 ─ティク・ナット・ハン」

 

「…歩く瞑想とは、歩く間に実践する瞑想です。この実践の間、平和や幸福を感じ取ることができます。世界でもっとも幸せな人であるかのように歩いてみてください。これができれば歩く瞑想の成功です。

 

この実践では、どこかの地点にゴールを設けはしません。だから心配したり急いだりする必要もありません。到達点が無いということはつまり、歩くことが目的地に至るための手段ではなく、目的そのものとなるのです。

 

一歩一歩の歩みが、あなた自身に平和や幸福、穏やかさをもたらすものでなくてはなりません。一歩一歩の歩みとは、私たちを今この瞬間に連れ戻すものでなくてはならないのです。今この瞬間こそ、あなたが生きることのできる唯一の瞬間です。

 

一歩ずつ、地面に足跡を残すかのように歩みます。不安や悲しみの足跡ではなく、代わりに平和や穏やかさ、幸福の足跡を残すのです。

 

もしあなたがほんとうにそう望むのなら、これは実現可能なのです。

 

もし私たちが菩薩のまなざしで誰かの足跡を見つめれば、その人の足跡に、悲しみや不安、怖れがあるのを理解することができます。つまり、私たちは悲しみや不安のかけらもない、ただ平和と喜びだけの足跡を残さなくてはならないのです。

 

たとえば私に奇跡の力があって、あなたを阿弥陀仏の地に連れていくことができたとしましょう。もしくはあなたがキリスト教徒なら、神の御国だとしましょう。

 

その地で私たちはどのように歩くべきなのでしょうか。もしそこで私たちが不安や悲しみの足跡を残せば、阿弥陀仏の地を汚してしまいます。そうすれば浄土は不浄となってしまうでしょう。このために私たちがこの地球において、平和で幸せに歩むことが必要なのです。

 

もしあなたが平和で幸せに歩むことができたら、地球は聖地となり、浄土となるでしょう。これは私が発見したことではなく、ブッダ自身が説いたことです。ブッダは浄土とは、私たち自身のマインドにあると言ったのです。俗界の輪廻もまた私たちのマインドにあります。私たちがこの地を浄土とするのか、あるいは俗界にとどめるのかは、私たちの歩み方そのものにかかっているのです。

 

 

ずっと昔、ブッダが滞在していた場所を訪ねたことがあります。そして山を登り、ブッダも幾度か座ったであろう岩に座り、ブッダが見つめたであろう夕陽を見つめました。その夕陽をブッダはきっと何百回も、もしかしたら何千回も見つめたことでしょう。

 

そして気づいたのです。もし私たちがブッダと同じように歩むことができなかったら、ブッダと同じように座ることができなかったら、ブッダと同じように物事を見つめることができなかったら、ブッダが幸福に穏やかに、この世界に気づきと理解をもたらそうとした功績を引き継いでいくことはできないのだと。」

 

 ─ティク・ナット・ハン

 

 (Sounds True Youtube動画「Thich Nhat Hanh ─Walking Meditation」から)