多くの仏の教えが、私達とその母である地球との相互の繋がりへの理解を指し示しています。
そのもっとも深い教えの一つが金剛経です。 金剛経は、仏陀とその高弟の須菩提の会話形式で書かれ、冒頭の須菩提のこの質問によって始まります;
「もし良家の子女が、もっとも高等で、覚醒し、充実した精神を養いたいと願うなら、何を頼りにし、その思考をどう極めたら良いのでしょうか?」
この質問は「もし私が懸命に生命を守ろうとするなら、どんな原理原則を使うべきでしょうか」と同じです。
仏陀はこう答えています。「私達は、生きるものすべてが苦しみの海を渡れるよう、助けることに尽くさなくてはなりません。
しかし、生きるものすべてが自由の岸にたどり着いても、それは誰一人として向こう岸に運ばれたのではないのです。
もしあなたが未だに、自身や人、生きるものや命の長さという考えにとらわれていたら、あなたは真の菩薩ではないのです。」
自身と人、生きるものと命の長さとは、私たちの現実の理解を阻む、四つの考え方です。
命は一つです。切り離してそれぞれを“〜自身”と呼ぶ必要はないのです。私達が自身と呼ぶものは、それ以外の要素でできているものに過ぎないのです。
花を見ると一見、“花でない”ものとは違う存在だと思うかもしれません。でもさらに深く見つめてみると、宇宙の全てがその花に含まれていることが分かるのです。
あらゆる“花でない要素”が無かったら— 日光、雲、土、微量元素、熱、河川、そして意識が無かったとしたら—、花は存在することができないのです。
このために仏陀は自己は存在しない、と説いたのです。自己と無我の間にある、あらゆる区別を、私達は捨て去らなければなりません。
もしこの洞察がなかったら、一体どう私達に環境を守る働きができるでしょうか。
━ティク・ナット・ハン
翻訳・西田佳奈子