相互存在する「私」

 

あらゆるものが、その姿を現すために、宇宙に存在する、他のすべてに支えられていますーそれが星や雲、花や木、あなたや私であったとしても。

 

ロンドン滞在時、川のほとりで歩く瞑想をしていると、本屋のウインドウに飾られた『私の母、私自身』という題名の本を見つけました。 内容はすでに分かる気がして、購入はしないままでした。

 

私達一人一人が、自分の母の継続であるのは真実です。

 

私達自身が、自分の母なのです。 私達が自分の父母に対して怒るのなら、私達はまた自分自身に対して怒っているのです。

 

私達が何をしようとも、両親は私達と共に行っています。 受け入れ難いことかもしれませんが、これは真実です。

 

両親と何の関わりも持ちたくないとは、言えないのです。 両親はすでに私達の中に存在し、私達は両親の中に存在しています。

 

私達は、代々の先祖すべての継続です。

 

無常のお陰で、私たちは自分が受け継いだものを、素晴らしい方向へと変容していくチャンスに恵まれているのです。

 

毎回、庵の祭壇に線香を供えるたび、五体投地をするたび、私は自分一人としてではなく、代々の系統すべてを共にしています。

 

歩いたり、座ったり、食べたり、また書を描いている時、その瞬間、私は自分自身のあらゆる先祖を共にしていることに気づいています。

 

私は、先祖すべての継続として在るのです。 何をしようとも、気づきのエネルギーによって、「私」ではなく、相互存在を通じて「私達」として事にあたることができます。

 

書筆を持つ時、私には自分の手から、父を除けないことが分かります。 自分の手から、母や先祖たちを除けないことが分かります。

 

みな私の全細胞に、美しい円相を描く動きの中に、その能力の中に、生きているのです。 私の手から霊性の師たちを除くこともできません。

 

私が円相を描くのを幸せを感じている時、その平和、集中、気づきの中に、師たちは存在しています。

 

私達みなが、共に円相を描いているのです。

 

分断した「自分」とは、存在しないのです。

 

描きながら、私は深い無我の洞察に触れます。 それは次第に、深い瞑想となっていくのです。

 

 

  ティク・ナット・ハン

翻訳・西田佳奈子