ある日の午後、ブッダは悲哀が顔に刻まれた若い男を迎えた。男は最近一人息子を亡くし、幾日も墓にたたずんでは「息子よ、お前は一体どこへ消えてしまったんだ」と嘆き悲しんでいたことをブッダは知った。
男は食べることも飲むことも、眠ることもできなかった。ブッダは男に言った。「愛とは、苦しみをはらむものです。」
男は反発した。「そんなはずはない。愛は苦しみを生んだりしない。愛は幸せと喜びだけをもたらすのだ。」 ブッダが意味を説明する間もなく、息子に先立たれた男は、突然その場を去った。
男はあてどなく歩きまわると、街角で賭け事に興じている男たちの一団を見かけると会話をしに立ち止まり、ブッダとの出来事を話したのだった。男たちはブッダが間違っていると同意した。
「愛がどうして苦しみを生むというのか。愛がもたらすものは幸せと喜びだけなのに!君の言う通りだ、ゴータマとかいう坊主は間違ってる。」
間もなくしてこの噂が舎衛城中に広がると、白熱した議論の的となった。多くの精神指導者たちが誤っているのはブッダだと主張した。
この問題はパーセナディ王の耳にも入った。
その晩の食卓で、王は王妃にこう話した。「“ブッダ”と呼ばれている僧は、思われているほど優れた師ではなさそうだ。」
王妃は尋ねた。「何かそうお思いになることがあったのですか?誰かがゴータマ師を悪く言ったのでしょうか?」
「今朝、家臣たちのゴータマについての議論があった。その話では、ゴータマは人は愛すれば愛するほど、苦しむ”と説いたそうだ。」
王妃は言った。「もしゴータマがそう言ったのなら、疑うべくもなくその通りです。」
王は気短に言い返した。「そうした物言いはすべきではない。自分で確かめなさい。先生の言うことをすべて信じる幼い子供のようであってはならぬ。」
翌朝、王妃は腹心のバラモンであるナーリジャンガに、ブッダを訪ね、愛が苦しみの元となると話したことは事実なのか、そして、何か説明すべき訳があるのか聞いてくるように依頼した。
ブッダが話すことはすべて記録し、報告するように託した。 ナーリジャンガはブッダに会いに行くと、王妃の質問を尋ねた。
ブッダは答えた。「最近、舎衛城の街で母を亡くした女のことを聞きました。女はあまりに深い悲しみに打たれ、正気を失って通りをさまよい、あらゆる人に向かって“母を見ませんでしたか? 母を見ませんでしたか?”と尋ねまわっているのです。
また、若くして心中した恋人たちについても聞きました。少女の両親が別の相手と無理に結婚させようとしたのがその原因です。この二つだけでも、愛が苦しみを生むことをじゅうぶん物語っています。」
ナーリジャンガはブッダの言葉をマッリカー王妃に繰り返した。
それから間もなくのある日、王妃は余暇を楽しむ王をつかまえると尋ねた。
「あなた、バジーリー王女をかわいがり、愛しているでしょう?」
「もちろん、そうだ」王は答え、質問に驚いた。
「バジーリーが何か不運に襲われたら、あなたは苦しむでしょうか?」
王は愕然とした。突如として、愛の中には苦しみの種が存在することをはっきりと理解したのだった。
安全な感覚は懸念にとってかわった。 ブッダの言葉には、王の心を激しくかき乱す残酷な真実があった。王は言った。「できるだけ早い機会に、このゴータマという僧を訪ねることにしよう。」
王がブッダに会いさえすれば、その教えがどれだけ非凡なものであるかを理解すると、王妃は満足し、信頼した。
──ティク・ナット・ハン