「従来、愛には差別と欲求、執着の要素が含まれる。あなたによれば、そうした愛とは、懸念や苦しみ、絶望をつくりだす。
ならば、一体どうすれば欲求や愛着なしに、愛することができるだろうか。
一体どうすれば子供たちへの愛を持ち続けながら、懸念や苦しみを防ぐことができるのだろうか。」
ブッダは答えた。
「私たちの愛の性質を確かめる必要があります。
愛とは、愛する者に平和と幸せをもたらすものでなくてはなりません。
もし私たちの愛が他者を支配しようとする利己的な欲求に根差せば、愛する者に平和と幸せをもたらすことはできないのです。
反対に、愛する者は罠にはめられたように感じるのです。
こうした愛は牢獄と変わらないのです。
私たちの愛によって、幸せになることができなければ、彼らはそこから自由になる方法を見つけるでしょう。
彼らは私たちの愛の牢獄を受け入れはしません。互いの間にあった愛は、徐々に怒りと憎しみに変わるでしょう。
陛下、10日前、舎衛城で利己的な愛によって起きた悲劇について聞きましたか?
息子が恋に落ちて結婚した母親が、息子に捨てられたように感じたのです。
新たに娘を持ったのではなく、息子をなくし、裏切られたと感じたのです。
そのために母親の愛は憎しみに変わり、新婚夫婦の食事に毒を仕込んで、2人とも亡くなったのです。
陛下!悟りの道によれば、愛とは理解なしには存在し得ないのです。
愛とは理解です。
もし理解できなければ、愛することはできないのです。
夫と妻も、お互いを理解できなければ、愛し合うことができません。
兄弟姉妹も、お互いを理解できなければ、愛し合うことができません。
親子もお互いを理解できなければ、愛し合うことができません。
愛する者を幸せにしたいなら、彼らの苦しみと願望を知らなければなりません。
それが真の愛です。
もし私たちが愛する者を自分の考えに従わせたいだけで、彼らが必要とするものについて無知のままであれば、それは真の愛ではありません。
それは他者への支配であり、自分自身の必要性を満たそうと企てているだけであり、その方法で達せられるものではありません。
陛下!コーサラ国民にも苦しみと願望があります。もしあなたが彼らの苦しみと願望を理解できれば、真に彼らを愛することができます。
あなたの宮殿の家臣たちすべてに苦しみと願望があります。その苦しみと願望を理解できれば、どう幸せをもたらせるかがあなたに分かるでしょう。そうなれば、彼らは生涯忠誠を尽くしてくれるでしょう。
王妃にも王子にも王女にも彼らの苦しみと願望があります。あなたがその苦しみと願望を理解できれば、彼らに幸せをもたらすことができるでしょう。
すべての人が幸せと平和と喜びを覚えることができるとき、あなた自身もまた幸せと平和と喜びを知るでしょう。これが悟りの道です。」
パーセナディ王は深く感銘を受けた。これまでのどの精神指導者やバラモン教司祭によっても、これほど王自身の心の扉を開き、物事を深く理解させられたことはなかった。
この師の存在は、自分の国にとって大きな価値がある、と王は思った。王はブッダの弟子になりたかった。
──ティク・ナット・ハン